恵まれているってつらいという話

みなさんこんにちは。いちりゅうだいがくせいです。

 

誰だお前って人はこの記事を読んでもらえばどんな人かちょっとわかるはずです。

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さて、前置きはここまでにして本題に入りましょうか。

 

世の中にはたくさんの人がいます。お金持ちから貧乏な人、健康な人からなにか持病に悩まされている人、頭のいい人からそうでない人まで様々な人がいます。

 

僕は自分では、そこそこ恵まれていると思っています。奨学金を借りなくても大学に通えています。運動などは苦手ですが特に持病などもありません。また、(大学での勉強はさておき)高校までは少し苦労したもののそれなりに勉強もできたと思っています。

 

世間の中では恵まれている人というと、人生楽そう、ずるいなどといったイメージだと思います。実際読者のみなさんもそう思っているのではないでしょうか。

 

ただ、いざ自分が恵まれていると感じるようになると、とても生きづらいです。

 

理由は主に2つあります。1つ目は、恵まれていない人の前で生活しにくいからです。

 

例として、お腹を空かせたアフリカの子供の目の前で自分はお腹いっぱいになるまでご飯を食べることができるという場面を想像してみてください。とてもご飯を食べる気にはなりませんよね。

 

今のは極端な例でしたが、恵まれている人がそうでない人の前で生活するとき、多少なりとも申し訳ない気持ちや罪悪感などを感じてしまうのです。そしてそれらの感情は自分でも気づかないうちにストレスとして溜まっていくのです。

 

ツイッターをやっているとよく「不幸自慢をする人」の話を見かけます。彼らは恵まれていることで感じるストレスから逃げるためにあえて恵まれていないアピールをしているのではないでしょうか。(もちろんそれだけでなく様々な要因が組み合わさった結果ではあるが)

 

恵まれていると生きづらい2つ目の理由は、言い訳ができないからです。

 

例えばなにかテストがあったときに体調を崩してしまった人(Aさんとする)がいるとします。その人の成績が悪かったとしても「体調が悪かったから仕方ないよね」「具合悪いのに頑張ったね」となりますが、同じテストをその日体の調子がよかった人(Bさんとする)が受けて悪い成績をとったとしたら「何やってたんだ」となりますよね。

 

別にこの例は体が弱い人を非難するつもりはありませんが、Aさんの成績が悪かった本当の理由はちゃんと勉強してこなかったことかもしれない。Bさんは猛勉強したにも関わらず成績が悪かったかもしれない。でも恵まれている人は言い訳ができず、すべての結果が自己責任になってしまいます。

 

みなさんの周りにもテストのとき、忙しくて勉強できなかったアピールをしていた人がいたと思います。あるいはみなさんがそうだったかもしれない。それは、「時間」というものに恵まれていなかったと主張することで、テストの結果が自分の責任だという状況を逃れるためだったのではないでしょうか。

 

長々とですが、僕が感じる「恵まれているが故のつらさ」について話させていただきました。

 

恵まれていない人に救いの手を差し伸べることももちろん大事ですが、恵まれている人にも優しい世の中になるといいですね。

 

 

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それでは今日はこの辺で。

はじめまして

はじめまして、いちりゅうだいがくせいです。

 

「いちりゅう」と言っても決して奢っている訳ではなく、「一留」です。現在絶賛留年中です。悲しいですね。

 

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